急性高山病のスクリーニングテストの開発
     - 科学研究費 研究成果 報告 -

1.背景
 「 急性高山病とは」で述べたように、急性高山病(AMS)の発症メカニズムは、はっきりしていません。
メカニズムを追求するよりも、これから高所登山を始めようとしている人に対して、
AMSにかかりやすい人を
平地で予知できれば、予防薬や馴化など、対策を立てておくことで、安全で快適な登山につながる
はず、
と発想を転換しました。しかし、この研究を進めるためには、低酸素環境が必要になります。我々の研究室は、
低酸素発生装置を保有しており、その装置をうまく制御すると、酸素濃度を徐々に低下させることが可能なため、
登山に似た環境をシミュレートできます。
 この装置を用いて、「平地でAMSを予知できるスクリーニングテストを開発する」という研究テーマで、
文部科学省の科学研究費に応募したところ、運よく採択されました。最初のうちは、実験方法の確立に努め、
最終的には、登山経験者で、AMSをよく経験する人と ほとんど経験しない人を対象に、定常負荷運動中に
吸入酸素濃度を変化させ、その時の呼吸循環応答を測定・比較し、両群の違いを明らかにすることで、
平地でAMSを予知できるスクリーニングテストを開発することを目標に、以下の実験を行いました。

2.実験方法
1)対象者
  高所登山の経験が豊富な人については、愛知県の
中高年の山の会の中で会員数も多い「ふわく山の会」
 のご協力を得られ、男性7名、女性9名の計
16名の登山愛好家(2500m以上の山に5回以上登られた方)が
 実験に参加して下さいました(平均年齢 62.7歳)。過去5年間の高所登山時のAMS症状や頻度等を点数化し、
  
AMSにかかりやすい群 (+AMS群):8名
  
AMSにかかりにくい群 (-AMS群):8名
 に分けました。
2)予備測定
・負荷決め:リカンベント式自転車エルゴメーターを用い、漸増負荷法で最高心拍数の70%まで漕いでもらい、
 負荷と心拍数の関係から、心拍予備(Heart rate reserve; HRR)の
40%の中強度の運動負荷を決定します。
 この強度は疲労が蓄積されず、運動が長時間可能な登山に適した運動強度です。
・肺機能検査:肺活量、1秒量、1秒値などで、肺の機能を確認します。
・安静時心電図:心疾患がないかの確認をします。
・アンケート:登山歴、AMS症状、運動歴、既往症
3)本実験
・吸入ガス条件:低酸素にする方法を2種類用いました。
 
急減条件:酸素濃度20.9%から13%に瞬時に切替
 
漸減条件:酸素濃度20.9%から13%まで,約1分に1%の割合で直線的に低下(約10分で13%に)
  なお、
酸素濃度13%は、標高約3800m相当(富士山頂付近)
の濃度相当になります。また、酸素濃度を
 対象者に教えずに実験を実施します。条件間は1時間の休憩を挟み、対象者によって順番を変えます。
  この酸素濃度での運動については、低酸素で運動を行わせている6つの施設にご協力いただき、動脈血酸素
 飽和度(SpO
2)が70%以下を中止基準にすると、重篤な有害事象(失神、過度の頭痛等)起こす確率が0%
 (2400人中0人)であることから、SpO
2が70%を下回ったら実験を中止するという基準を設け、名古屋大学
 医学研究科の生命倫理審査委員会の了承を得て実施しています。
・実験進行:常酸素で安静2分→40%HRRで運動22分
     運動22分=
常酸素5分+吸入酸素濃度変更15分+常酸素2分(回復)
  
  実験のプロトコル

・測定項目:
 呼吸系:毎分換気量、呼吸数、1回換気量、吸入酸素濃度、呼気終末炭酸ガス分圧
 血液・循環系:動脈血酸素飽和度、心拍数
 主観的つらさ:6~20のボルグスケール(5分ごと)
 AMS症状:Lake Louise式のAMSスコア(2.5分ごと)

  
 実験風景

3.結果と考察
1)身体的特性
 下表にあるように、今回の対象者については、+AMS群で女性および若い人が多めでした。身長や体重もその
影響を受けて、+AMS群で低く、体格が小さい傾向がみられます。女性や若い人、体格が小さい人ほどAMSにかかり
やすいということではなく、たまたま+AMS群に女性が多かったことが原因と思われます。先行研究では、年齢や
性別がAMSに影響するか否かについては、否定的な報告が多いようです。
 一方、+AMS群は努力性肺活量が有意に低く、性や年齢、体格を加味した予測値も有意ではありませんが、
低い傾向が見られます。
AMSにかかりやすい人は肺活量が低めであるという特徴があるようです。2つの群で差が
ある場合、その中間の値がボーダーラインと考えられることから、
肺活量で2.9ℓ以下、予測値が96%以下の人は、
AMSにかかりやすいと言えそうです。
  
  対象者の身体的特徴

2)吸入酸素濃度
 急減条件ではデッドスペースがあるので、遅れ時間等がありますが、2~3呼吸で20.9%から13%まで急激に
酸素が減ります。一方、漸減法では、装置の制限で19%からしか下げられないため、20.9%から19%まではコック
をゆっくり回すことで 徐々に酸素濃度を下げており、その切替付近で少し段付きがありますが、あとは直線的に
酸素濃度が下って行きます。漸減法は、平地から富士山頂まで約10分で上がることになりますが、急減法よりは
緩やかな変化であり、登山時の応答をより安全にシミュレートでき、有力な手掛かりとなる方法と考えられます。

 吸入酸素濃度 (FIO2) の変化

3)動脈血酸素飽和度
 急減法では両群とも少しの遅れ時間後、動脈血酸素飽和度(SpO
2)が急激に低下しますが、-AMS群の低下が鈍り
始めても、+AMS群は低下し続け、その差が開いたまま、ほぼ定常状態になります。また、漸減法ではSpO
2
シグモイド状に低下しますが、+AMS群は最初からだらだらと低下し始め、-AMS群よりも低値を示し続け、最終値は
急減法とほぼ同じ値に落ち着きます。
 このように、
AMSにかかりやすい人は、SpO2が早くから低下し始め、大きく低下することが明らかとなりました。
今回の条件(酸素濃度13%、中強度の運動)では、急減法では低酸素開始2分後にSpO
2が82%以下の人、漸減法では
低酸素開始5分後にSpO
2が92%以下の人、あるいは、一番低下した時のSpO2のボトム値が74~75%以下
の人は、
AMSにかかりやすい
と言えそうです。

 動脈血酸素飽和度 (SpO2) の変化

4)毎分換気量
 面白いことに、+AMS群は安静時の換気量が-AMS群より少なめで、常酸素の運動でも、-AMS群よりも換気量は
上がりません。負荷の設定値がほぼ変わらないので、換気量は同じくらいになるはずです。+AMS群の換気量が低い
のか、-AMS群の換気が高いのかははっきりしませんが、常酸素での運動に関して言えば、+AMS群の方が効率としては
いいことになります。
 「 運動と酸素のお話」で述べたように、低酸素になって、動脈血酸素飽和度が低下すると、生体はそれを化学受容器
(主に頸動脈小体)で感知し、化学受容器反射で換気量を上げるように仕向けます。急減法では低酸素にすると、
両群とも換気量が指数関数的に増加しますが、+AMS群はその増加がやや大きく、後半は両群の差がなくなってきます。
漸減法では両群ともゆるやかに換気量が上がっていきますが、やはり後半で両群の差がなくなってきます。
これらのことから、
AMSにかかりやすい人は、常酸素運動での換気量は少ないが、低酸素での運動時の換気量は
AMSにかかりにくい人と変わらない
ことになります。にもかかわらず、SpO2がより低下していることになります。
つまり、同じ量の換気をしても、
AMSにかかりやすい人は、うまく酸素を取り込めないということになります。
この原因はよくわかりませんが、+AMS群では、肺で酸素を取り込む能力(肺拡散能力)が悪いこと、ヘモグロビン量が
少ないことなどが考えられます。しかし、今回の実験ではこれらを測定していないので、はっきりしたことは言えません。

 毎分換気量 (VE) の変化

5)呼気終末炭酸ガス分圧
 呼気終末炭酸ガス分圧(PETCO
2)は、動脈血の炭酸ガス分圧の指標として用いられます(分圧=濃度と思って
下さい)。「運動と酸素のお話」で述べたように、化学受容器は血中の酸素分圧だけでなく、炭酸ガス分圧に
より強く反応します。動脈血炭酸ガス分圧がある設定値(セットポイント)より高ければ、呼吸を多くするよう
呼吸中枢に働きかけて換気を上げ、炭酸ガスを体から追い出そうとし、逆に低ければ呼吸を抑制して炭酸ガスが
出ていかないようにするなど、炭酸ガス分圧を一定に保つ「フィードバック制御」をしています。その設定値は、
安静の動脈血炭酸ガス分圧で40mmHg程度、肺で薄まるので、呼気終末炭酸ガス分圧は36~37mmHgを示します。
常酸素環境で運動すると、代謝によって炭酸ガスが多く排出されるようになり、換気を上げる方に向かうとともに、
設定値は安静時より高くなります。一方、低酸素を吸入すると、換気が上がりますが、その分、炭酸ガスが出て行く
ため、動脈血炭酸ガス分圧が低下していくので、換気が上がるのを抑制する方向に向かいます。低酸素環境での運動も
同じです。
 これらを踏まえて、結果を見ますと、面白いことが分かります。まず、+AMS群は安静時からややPETCO
2
高めで、運動でかなり増加します。一方、-AMS群は安静でPETCO
2が低く、運動して増加しますが、+AMS群ほど
上がりません。この差は、低酸素吸入によってPETCO
2が低下しても変わりません。すなわち、AMSにかかりやすい
人は、安静、常酸素および低酸素運動を通じて、呼気終末炭酸ガス分圧が高い
と言えます。これは、+AMS群の
動脈血炭酸ガス分圧の設定値が高いことや換気が少ないこと、炭酸ガス分圧の低下に対して敏感で、低酸素運動で
換気を抑制しやすいことが原因と考えられます。ただし、今回の場合、-AMS群は設定値が低く、過換気気味で
炭酸ガス分圧の低下に対して鈍感だったことも考えられます。いずれにしても、安静時の呼気終末炭酸ガス分圧が
36mmHg以上、中程度の常酸素運動時の定常値が42mmHg以上、低酸素運動中の定常値が36mmHg以上の人は、
AMSにかかりやすいと言えそうです。

 呼気終末炭酸ガス分圧 (PETCO2) の変化

4.まとめと課題
1)まとめ
 ・AMSにかかりやすい人は、
  (1) 肺活量が低い
  (2) 低酸素運動中、動脈血酸素飽和度が、早くから大きく低下する。
  (3) 安静、常酸素および低酸素運動を通じて、呼気終末炭酸ガス分圧が高い

  といえます。
 ・
スクリーニングテストで、AMSにかかりやすい人の判定基準として、
  (1) 努力性肺活量が2.9ℓ以下、予測値が96%以下
  (2) 呼気終末炭酸ガス分圧が安静時に36mmHg以上、常酸素で40%HRR程度の中強度の運動中に42mmHg以上
  (3) 漸減法で低酸素切替5分後(FIO2≒19%)に酸素飽和度が93%以下、急減法で低酸素切替2分後に83%以下、
    両条件とも、低酸素運動で酸素飽和度が75%以下に低下
  が挙げられます。
 ・スクリーニング
テストの必要条件として、
  (1) 酸素濃度が13%まで下げられるような低酸素発生装置を用いる(徐々に濃度を変えられるものが望ましい)
  (2) 運動は中等度、いわゆるAT強度より少し低い程度(最大酸素摂取量や心拍予備の40~50%程度)で行う
  (3) 動脈血酸素飽和度が70%を下回ったり、対象者に頭が痛いなどのAMS症状が出たら中止する
     (この人は、AMSを起こしやすいと言えます)
  (4) 検者は救命救急法を熟知し、近くにAEDや酸素ボンベがあり、医師への連絡がすぐ取れる体制を作る
  ことなどが必要です。
   スクリーニングテストとしては、急減法の方が短時間で終えることが可能ですが、漸減法の方がきつくない
  ので、まず漸減法を実施して様子を見て、可能なら急減法も実施すれば、より精度が上がると考えられます。
2)課題
 ・本研究の限界と今後の展望
  (1) テストが正しいかは、実際に登山初心者にこのテストを行い、その後、高所登山をして、今回の結果が正しいか
   確かめる必要がありますが、高所登山に連れて行くことは倫理委員会で危険と判断され、認められませんでした。
   最近、研究倫理が厳しくなっており、このような実験は難しいかもしれません。
  (2) 対象が中高年だったため、若年者にも当てはまるかわかりません。若年者を対象とした実験が必要です。
   ただし、科学研究費の研究期間は、終わってしまいました。
  残念ながら、この実験はここでひとまず終了です。。。
  (3) 本研究の応用として、高所登山時に携帯型のSpO
2測定装置(パルスオキシメーター)を持参し、
   登っている時のSpO
2を測定して、75%を切っていないチェックしてみましょう。75%以下なら、
   ペースを落とすなど、積極的に「 急性高山病とは」で説明した対処法を行ってください。

5.謝辞
 本研究の実験は、名古屋大学医学系研究科博士課程の山内高雲さん(現:秋田病院)が主に実験を担当し,
 片山敬章先生の低酸素発生装置を用いて行われました。
 また、研究対象者として「ふわく山の会」の方々には、大変お世話になりました。ありがとうございました。

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